わがまま

自分はわがままで気分屋らしい。

 

そんな評価を他人からもらうと、心がざわついて、自分がとてもひどい人間のように感じる。

 

そんなことを認めたくないとばかりに、〇〇だから怒るの、なんて言い訳。

 

さらに自己嫌悪。

 

だけど、

わがままで気分屋なわたしが嫌いなら、どうぞ離れてください。

 

あなたが良いと思う人と過ごしたら良いのです。

 

傷つけあってまで、そばにいる必要などない。

 

ひとりになって寂しくなったとしても、自分は自分でしかないから、仕方ない。

 

自分だけは自分を否定せずにいることを選んでいきたいと思う。

 

本当の愛って、そこからしか生まれないんじゃないかな。

 

自分を愛せない人に、他人を愛することなどできないのだから。

あったかい気持ち

周囲の人って、いろんな人がいる。

ひとりの人の中にもいろんな面がある。

 

わたしの中にもいろんなわたしが存在している。

 

わたしの中にあったかいなぁという気持ちが芽生える時は、周囲の人のあたたかさに触れた時。

 

ということは、わたしの中のあったかさを感じてほっこりした気持ちは相手をもほっこりさせるのではないかな。

 

そしたら、自分がいつもあったかい気持ちでいたら、いつも自分に返ってくるのは周囲の人のほっこりで、また自分があったかくなる。

 

あったかさの連鎖。

 

あら、なーんだ、だったら今日からはあったかほっこりを標準装備にしよう!

柔軟な思考

生きてきた間に、知恵だとか、常識だとか、いろんなものが自分に纏わり付いて、上手に生きているつもりが、実は自分が安全と思えるとても狭い範囲の中で立ち回ってるに過ぎないということになってしまっている。

 

物事に善悪を付け、悪を遠ざける。

本当の悪ならそれで良いのだけれど、

 

「悪」と決めただけのことって、本当はとても多いのではないかな?

 

そして、その「悪」の中に、

お金とか、自由とか、果ては自分までをも入れてしまっているのではないか。

 

思いのままにならないと感じてることの、自分の中の価値判断を見直すことで、囚われから解放されると、もう少し広い世界の中で、豊かさに浴することもできるかもしれない。

 

 

優しい自分

まだがんばれる!

そんなことを続けて、気付けばぐったり、なんてこと、やっている人多いんじゃないかな。

他人なら、疲れた顔してるとか、 声のトーンが疲れてるとか、わりと敏感に気付いて、

「ちょっと休んだら?」なんて声掛けて、優しい自分に満足したりできる。

でも、自分に、となると事情が違って、

みんながんばってるんだから、休むなんてとんでもない!とか、

こんなことで疲れて情けない、とか、

まだまだがんばれるはず、とか。

「ちょっと休んだら?」なんてことは言ってあげられないのね。

そして、驚くほどに、その自分への言葉掛けの厳しさに気づいていない。

自分にも「ちょっと休んだら?」って言えるようになると、やっと自分を他人と同じレベルで扱ってあげられるようになる。

自分に優しくできた優しい自分に満足する、

そんな人こそ真に優しい人なんじゃないかな、って思う。

自分を大切に

スケジュールが立て込んでいたにもかかわらず、もうひとつやりたいことが見つかった。

 
それを行動に移さないと、なんだか損をするという気持ちに駆られた。
 
だけど、先週から体調を崩しているわたしの身体は限界。
 
自分はどうしたいのか、聞いてみることにし、横たわって長く息を吐いた。
 
わたし疲れてるね
それでもやりたいことなの?
わたしに無理させても手に入れたい大事なことなの?
わたしより大事な存在はあるの?
わたしは本当はどうしたいの?
 
そしたら、
やっぱりわたしが大事だし、
なにを手に入れても、わたしが元気じゃなきゃ幸せじゃないな。
って気づいた。
 
そしたら、さっきまで手に入れなきゃ、とこだわっていたものがすっーとどこかに消えていった。
 
そして心底ほっとした。
 
今日も自分のこと大事にできたみたい。
 

褒められる

久しぶりの友達に会った。

あの時、こんなことしてくれたね、助かった、ありがとう、って褒められた。

また別の人からも、こんなことしてもらって嬉しかった、ありがとう、って。

どちらも自分は覚えていないこと。

してもらった方は、覚えているらしい。

わたし、ステキな人だったんだね。

嬉しい〜